呉のやぶ

呉の秋祭りのシンボル的存在、「やぶ」の今と昔をお伝えします。

2023年 祭り紀行

一般には馴染みが薄いかもしれませんが、学術雑誌に投稿した論文が掲載されるには、レフェリーと呼ばれる匿名・複数の査読者から査読(審査)を受ける必要があります。 拙稿「呉のやぶの多様性と経時的変化」の場合、「日本民俗学」に掲載されるまで二度、要…

愛媛取材記 東予の鬼文化

はじめに やぶはいつから存在しているのか。 なぜやぶを「やぶ」と呼ぶのか。 いずれもよく聞かれる質問ですが、やぶの起源や語源に関する史料は確認されておらず、これまでのところ明らかになっていません。 令和3(2021)年12月、かれこれ60年余りもの間…

「昭和のやぶ」展を終えて

はじめに かれこれ二年半にも及ぶコロナ禍で、祭りの中止や神事のみへの縮小が相次ぐ中、祭礼文化の伝承が途絶えることを危惧する声が全国各地で広がっています。 そうした中、ここ呉においてもこれ以上の見送りは文化の継承に深刻な影響を及ぼしかねないと…

昔の祭り(赤崎神社編)

はじめに 宮原3丁目、アカミドウの祭りの「やぶ」は写真作品には見られませんでした。残念です。 これは、2018年の「呉のやぶ」展(以下、やぶ展)で記帳いただいた芳名カードの一枚に書かれてあったコメントです。 「アカミドウ」(赤御堂)というのは、宮…

学術雑誌への掲載

「『呉のやぶ』の多様性と経時的変化」というタイトルの拙稿が『日本民俗学』(第305号)に掲載されました。 『日本民俗学』(第305号) 『日本民俗学』というのは、日本民俗学会が発行する査読学術誌です。 一昨年の夏に投稿し、昨年12月に「研究ノート」と…

「呉のやぶ」面展を終えて

9月9日から始まった「呉のやぶ」面展が無事閉幕しました。 コロナ禍での開催だったにも関わらず、二か月の会期中にご来場くださった方は延べ3,134人と盛況で、主催者としては望外の喜びでした。 案内状 ... // ギャラリー内の様子 ... // このままその余韻に…

2019年シーズンの振り返り(後編)

前編・中編からの続き 11月3日 この日は小祭り。 小祭りの厳密な定義は、亀山神社の兼務社8社*1と飛地境内社1社*2の祭りで、いわゆる「小宮の祭り」を指します。 決して「小さい祭り」の意ではありません。 一方、同日は旧呉市内において、亀山神社とは直…

2019年シーズンの振り返り(中編)

前編からの続き 10月14日 この日は、栃原の祭りの日。 呉の祭りシーズンにおいて、例大祭が行われるのが1神社のみというのは、この日を含めて2日しかなく、腰を据えて撮影できるという点で貴重な日です。 今年も昨年と同様、13時頃に栃原の自治会館を訪ね、…

2019年シーズンの振り返り(前編)

はじめに やぶの取材をしていて一番困るのは、自分が何者かを名乗る時です。 誰かの紹介があれば、特に問題はないのですが、難しいのは一見の取材のとき。 新聞記者や大学の先生であれば、「取材をしたい」と申し入れても怪しまれることはありませんが、私の…

「呉のやぶ」展を終えて

はじめに 早いもので「呉のやぶ」展(以下、「やぶ展」)が終わり、2ヶ月が過ぎました。 8月29日から10月8日までの会期中、総計3,167人もの方が足を運んでくださり、その反響ぶりに誰よりも筆者自身が驚いています。 また、嬉しいことに575人もの方が芳名カ…

昔の祭り(八咫烏神社編):エピローグ

昭和34年の祭りを最後に忽然と姿を消した、八咫烏の旧一番と旧二番*1。 「彼ら」は一体どこへ行ってしまったのでしょうか。 現在、坪之内青年団で団長を務める大林鉄兵さんは、小学生の頃から昔の写真を見て育ち、いつ見つかるとも分からないこれら両面を仲…

小屋浦のマッカ

平安期の和名類聚抄に記された郷名で、安芸国安芸郡十一郷の一つとされる「養隈郷」。 現在の焼山、苗代、栃原、押込、天応、坂町、矢野、熊野町のあたりであったと言われています。 拙稿「養隈の祭り」では、昭和地区*1のやぶが、天応のやぶや小屋浦、坂、…

苗代の祭り

大辞林によると、「苗代」とは『稲の種をまいて苗を育てる所』とあります。 まさにその意の通り、苗代は平地に恵まれ、緑豊かな水田が広がっています。 その苗代の祭りを初めて訪ねたのは昨年のこと。 黄金色の稲穂を背景にしたやぶは、これ以上はないほど「…

呉の秋 百景(2017年版)

秋分の日(9/23)に始まり、文化の日(11/3)に終わる「呉の秋」。 今年も計18ヶ所の祭りを訪ね、"やぶ色"に染まった呉ならではのこの季節を写真に収めました。 一口に"やぶ色"といってもその色は地区によって様々。 そこで今秋の振り返りとして、色彩豊かな…

昔の祭り(宇佐神社編)

はじめに かつて、音戸、倉橋から呉海軍工廠へ通う人たちの乗降で賑わった警固屋の鍋桟橋。 今はもう当時の桟橋係留チェーンと岸壁の石垣が記念の石碑の傍らに残るだけですが、昭和の初期には島嶼部から毎朝、1,700人余りの通勤者がこの場所で降船するなど、…

昔の祭り(大歳神社編)

のどかさや檐端の山の麥畠 明治28年3月、「呉港」と題し、この句を詠んだ俳人、正岡子規は34年の生涯で一度だけ呉を訪れています。 宇品で乗船した子規が最初に着いた場所は、当時の「呉の玄関」、川原石港でした。 その川原石を一望する、かつて「城山」*1…

小祭り

11月3日は小祭りの日。 「小祭り」と言うと、市外、県外の人には「小さな祭り」と誤解されるかもしれませんが、そういう意味ではありません。 宮原村、和庄村、荘山田村のいわゆる呉浦3村の総氏神であった亀山神社には、兼務社が8社、飛地境内社が1社ありま…

養隈の祭り

焼山で生まれ育った自分にとって、地元、高尾神社の祭りは子どもの頃、一年で最も待ち遠しい特別な日でした。 今日の"やぶ好き"の原点はあの時代にあると言っても過言ではありません。 そんな私も今や焼山だけでなく、呉市内各地の祭りにすっかり魅せられ、…

森土恵神社の祭り

今年の宇佐神社の祭りでは、中央区のヨダレや北区のカッパなどについては、我ながらいい写真を撮ることができました。 一方、西区のニグロに関しては、正直、満足のいく写真が撮れたとは思っていません。 もちろんこればかりは、運と技量で決まるので致し方…

向日原神社の祭り

押込のやぶと言えば、アカ、シャク、ガッソー。 今年もこれらのやぶを観に、向日原神社の祭りを訪ねる予定を立てていましたが、せっかくならこれまで行ったことのない時間帯を狙おうと、今回は13時過ぎに押込入り。 当然、初めての時間帯なので、どこに行け…

高尾神社の祭り

多くの場合、地元の祭りへの愛着は、子どもの頃の原体験から発しています。 私もその一人。 具体的には昨年の記事に余すところなく綴っているので、詳細はそちらに譲るとして、今回は子ども時代の郷愁が今の撮影にどう影響しているのかなどの話を交えながら…

貴船神社の祭り

祭りが行われている場所は、何も神社とその周辺だけではありません。 いわゆる「町回り」もそこに暮らす人々が祭りを体感できる貴重な場となっています。 この度、その町回りに的を絞って訪ねたのは、毎年、10月第三日曜日に警固屋の地で開催されている、貴…

竹内神社の祭り

初めて訪ねる祭りには、言いようのない高揚感を覚えます。 今回、足を運んだのは、栃原の里に鎮座する竹内神社*1。 毎年、10月第2月曜日の体育の日に例大祭が行われています。 この日、栃原入りしたのは、午後2時頃。 やぶや太鼓が宮入する少し前です。 一足…

神山神社の祭り

どんな世界にも引退は付きもの。 長年、神山の祭りでやぶを務めた山本靖彬さんにも、今秋、そのときが訪れました。 山本さんが初めて面を被ったのは、中学一年生のとき*1。 幼い頃から稚児になるなど、祭りとの関わりは長く、やぶになった初年度も「やっとな…

亀山神社の祭り

何にしても歴史を知って観ると、面白さが増します。 祭りも然り。 今年は、夏に「昔の祭り」(亀山神社編)の取材を行っていたので、レンズ越しに見える光景がこちらに向かって語りかけてくるようでした。 さて、10月第二日曜日の始動は朝のお祓いから。 午…

城神社の祭り

松の緑に 照りはえて 千畳が峯に そびえ立つ えぼしが岩より いや高き 理想を胸に いだきつつ 学びの道に いそしまん 今年3月をもって閉校となった落走小学校の校歌です。 その歴史は、明治36年、安芸郡吉浦村吉浦尋常高等小学校落走分教場として開設された…

吉浦八幡神社の祭り

10月第一土日とその翌月曜日は、吉浦の蟹祭り。 例大祭が行われる日曜日は、迫力ある「ちょうさい」など見所満載ですが、月曜日も実に個性的な祭りが行われています。 吉浦駅構内の看板には、「後日祭」として「午後五時から」としか書かれていませんが、地…

田中八幡神社の祭り

「大正元年」と書かれた幟の傍らに見える「大屋村」の文字。 この大屋村こそが、現在の天応の町*1です。 星山武士氏提供 その由来となった大屋大川の下流付近に鎮座する田中八幡神社を訪ねました。 お目当ては、10月第一日曜日の例大祭。 何せ100年以上前か…

宇佐神社の祭り

暦の上で秋を迎えるのは、8月7日頃の立秋ですが、猛暑の続く日本で秋の訪れを感じるのは、もう少し先。 とりわけ、ここ呉の地において本格的な秋を実感するのは、やはり何と言っても秋祭りのシーズンでしょう。 太鼓や笛の音はもちろんのこと、やぶの姿は「…

昔の祭り(亀山神社編)

"昔の祭り"の背景に郷土史あり。 とりわけ亀山神社の祭りは、時が経つにつれ埋もれがちな「呉の記憶」の多くを教えてくれます。 英連邦軍の十年に及ぶ呉駐留 写真1 呉市提供 <C. N. Govett氏所蔵> 写真1は昭和22年の亀山神社の祭り。 四ツ道路交差点から清…