呉のやぶ

呉の秋祭りのシンボル的存在、「やぶ」の今と昔をお伝えします。

シリーズ「昔の祭り」

昔の祭り(赤崎神社編)

はじめに 宮原3丁目、アカミドウの祭りの「やぶ」は写真作品には見られませんでした。残念です。 これは、2018年の「呉のやぶ」展(以下、やぶ展)で記帳いただいた芳名カードの一枚に書かれてあったコメントです。 「アカミドウ」(赤御堂)というのは、宮…

昔の祭り(八咫烏神社編):エピローグ

昭和34年の祭りを最後に忽然と姿を消した、八咫烏の旧一番と旧二番*1。 「彼ら」は一体どこへ行ってしまったのでしょうか。 現在、坪之内青年団で団長を務める大林鉄兵さんは、小学生の頃から昔の写真を見て育ち、いつ見つかるとも分からないこれら両面を仲…

昔の祭り(宇佐神社編)

はじめに かつて、音戸、倉橋から呉海軍工廠へ通う人たちの乗降で賑わった警固屋の鍋桟橋。 今はもう当時の桟橋係留チェーンと岸壁の石垣が記念の石碑の傍らに残るだけですが、昭和の初期には島嶼部から毎朝、1,700人余りの通勤者がこの場所で降船するなど、…

昔の祭り(大歳神社編)

のどかさや檐端の山の麥畠 明治28年3月、「呉港」と題し、この句を詠んだ俳人、正岡子規は34年の生涯で一度だけ呉を訪れています。 宇品で乗船した子規が最初に着いた場所は、当時の「呉の玄関」、川原石港でした。 その川原石を一望する、かつて「城山」*1…

昔の祭り(亀山神社編)

"昔の祭り"の背景に郷土史あり。 とりわけ亀山神社の祭りは、時が経つにつれ埋もれがちな「呉の記憶」の多くを教えてくれます。 英連邦軍の十年に及ぶ呉駐留 写真1 呉市提供 <C. N. Govett氏所蔵> 写真1は昭和22年の亀山神社の祭り。 四ツ道路交差点から清…

昔の祭り(鯛乃宮神社編)

第六潜水艇殉難之碑が奉られている鯛乃宮神社。 116段の石段を登ると、元文5年(1740年)に再興されたという慎ましやかな趣きの社殿が視界に飛び込んできます。 足を踏み入れると、中には恵比須さまと大黒さまの木彫りの面が奉納されていました。 奉納したの…

昔の祭り(八咫烏神社編)

やぶの誕生と普及の歴史を探るのは、ピースが揃っていないジグゾーパズルを組み立てるようなものです。 どれだけピースを集めてみてもパズルの完成には程遠く、全容が浮かび上がってきません。 できることと言ったら、埋まらない隙間を眺めながら、精一杯の…