はじめに かつて、音戸、倉橋から呉海軍工廠へ通う人たちの乗降で賑わった警固屋の鍋桟橋。 今はもう当時の桟橋係留チェーンと岸壁の石垣が記念の石碑の傍らに残るだけですが、昭和の初期には島嶼部から毎朝、1,700人余りの通勤者がこの場所で降船するなど、…
引用をストックしました
引用するにはまずログインしてください
引用をストックできませんでした。再度お試しください
限定公開記事のため引用できません。