焼山で生まれ育った私にとって、10月第3土日は一年の中で他に比較できるものがないほど特別な日でした。
子どもの頃、数ヶ月前からその日が訪れるのを指折り数えていたのを昨日のことのように覚えています。
(大袈裟な話ではなく、本当に「あと97日じゃ」などと友達と確認し合っていました)
「その日」というのは、焼山、高尾神社の祭り。
とりわけ楽しみだったのは、日曜日の例大祭ではなく、土曜日のよごろです。
この日は学校に行っても気もそぞろ。
友達との話題はやぶばかりです。
登下校時は遠目に和柄の衣服を着た女性が視界に入るだけで、やぶと見間違うほど神経も過敏になっています。
そのため、実際に「今年初」のやぶを目にした瞬間は、身体の底からその年一番の興奮が沸き起こるのを感じていました。
学校から帰ると昼食もそそくさと済ませ、友達と高尾神社や旧昭和支所(現在の脇田医院)の界隈に出かけます。
そして、やぶを見つけては「やぶ、やぶ、クソやぶ!」と口汚い言葉でからかっていました。
当然、やぶはその言葉に反応し、声の主をめがけて全速力で追いかけてきます。
私たち子どもは必死で逃げるのですが、やぶも執拗に追いかけてくるので、ときに追いつかれ、先の割れた竹や(非常に)硬くて重い紅白の紐で叩かれます。
その痛さといったらたまらないのですが、そうしたリスクを背負いながらも、「やぶをからかい、追いかけられ、ときにしばかれる」を飽きもせず繰り返していました。
からかうときは、いつも数十メートル離れた「安全距離」を確保していましたが、不幸にして突然、やぶに遭遇してしまうことがあります。
やぶが竹を引きずりながら歩く音は、これ以上はないほどの恐怖の効果音で、その音が聞こえると半パニックになりながら、逃げ隠れできるスペースを探していました。
そんな恐怖を感じながらも、日が暮れるまで友達とやぶをからかい続けていたのは、「怖いけど楽しい」というよりも「怖いから楽しい」という感覚があったからかもしれません。
今でもあのときのスリルが忘れられず、数年前にイラストレーターの小宮貴一郎さんに一枚の絵を描いてもらったことがあります。
やぶに追いかけられ、稲刈りを終えた後の田んぼに逃げ込んだものの、追っ手の足は止まらず、ついに2匹に挟まれるようにして追い込まれているという、子どもにとっては絶望的な状況です。
それでも恐怖と背中合わせにこの状況を楽しんでいる光景です。
絵の少年はもちろん私で、実話を再現してもらいました。
昭和50年代の焼山の原風景です。
こうしたやぶ熱は、祭りが終わってもすぐには冷めませんでした。
オフシーズンは、やぶ好きの友達と「やぶごっこ」をして遊ぶのです。
厚紙にやぶの絵を描き、それを面にし、竹も持って、やぶになりきります。
やぶごっこ*1
そして、友達と交代で「やぶ」役、「からかい、逃げる」役を演じ、来る来シーズンに備えていました。
昭和の良き思い出です。
では、現代の焼山はどうなっているのかと言うと、時勢がらさすがに「しばかれる」はなくなってしまいましたが、焼山らしい風景は今なお健在です。
私たちの子ども時代のように「やぶ、やぶ、クソやぶ!」という口汚い言葉は聞かれないものの、「やぶをからかい、逃げる」という基本の型は今も息づいています。
また、やぶもしっかり期待に応えて、「執拗」ではありませんが、子どもたちがスリルを味わえる程度に追いかけています。
本当のところは、21世紀になり、「追いかけないやぶ」や「怖がりも逃げもしない子ども」が随分と増え、昭和の光景がすっかり見られなくなった時期がありました。
ノスタルジックな思いでFacebookページ「焼山のやぶ」を趣味的に作り、昔のスタイルを懐かしむようになったのもこの頃です*2。
ところが、ここ数年は「やぶをからって逃げる」子どもが目に見えて増えつつあり、そんな光景を傍らから嬉しく眺めています。
あとは、「やぶ、やぶ、クソやぶ!」というフレーズが復活したらもう言うことはありません。
それは(意外と多い)古き良き時代を知るやぶにとっては、決して侮辱の言葉ではなく、むしろ熱い声援として受け止められることでしょう。
さて、よごろの話ばかりになってしまいましたが、日曜日の例大祭にも触れておこうと思います。
この日の焼山のやぶは早朝の時間帯を除き、前日とは打って変わって、一切追いかけも、叩きもしません*3。
竹も紅白の布に巻かれており、よごろの日のように引きずって歩くこともなく、「恐怖の効果音」もありません。
それは今も昭和の時代も同じです。
そのため、子ども時分はこの日は安心してやぶに近づくことができ、前日には決してできなかった「やぶの写真撮影」をしていました。
子どもの頃(昭和50年代)に撮ったやぶの写真
目的は、オフシーズンにやぶの写真を見て気を紛らわすことです。
撮った写真は、やぶごっこのための面づくりにも活用していました。
今振り返ってみると、趣味である「やぶの写真撮影」はこの頃から始まっていたのかもしれません。
話を戻します。
例大祭の日のやぶの役目は、主に太鼓に付く稚児の警護や交通整理です。
この日の主役は、太鼓と言っても良いかもしれません。
焼山の祭りは、古くから北区、東区、西区の三地区の青年団がやぶや太鼓を出しています*5。
日曜日は、各地区の青年団が各々の地域を巡回し、15時過ぎに揃って宮入します。
青年団は、宮入する前も宮入してからも、一心不乱に太鼓を叩き続けます*6。
宮入してからは三地区の太鼓の音が至近距離で重なり合い、それが境内全体に響き渡ります。
太鼓のリズムは、焼山の祭り特有のサウンドで*7、それもあいまってかこの時間帯の高尾神社は一種独特の空気に包まれます。
子どもの頃は、正直、この状況をどう楽しんでよいのか分かりませんでしたが、大人になった今は、よごろの日以上にこの日のこの時間帯を満喫しています。
渾然一体となった焼山サウンドにどっぷりと浸かりながら、焼山育ちの人間としてのアイデンティティを感じているのかもしれません。
やぶの立ち姿もこのBGMがあると一層映えます。
実際、この時間帯に神社へ足を運ぶと、子どもの頃からよく知る(おそらく)祭り好きの「おじさん」や、一緒にやぶごっこをして遊んだ幼馴染も引き寄せられるように集まっています。
もちろん、私もその一人で、さながら同窓会のような雰囲気です。
今、彼らと顔を合わし、言葉を交わすのは、この祭りの日しかありませんが、祭りが接点になっている限り、関係が途絶えることはないでしょう。
そんな幼馴染と今さらながらの連絡先交換をし、夕方、神社を後にしました。
連絡先が要るのはもちろん、やぶと一緒に写った記念写真を送るためです。
やはりやっていることは子どもの頃と変わっていません。
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*1:写真は私以上にやぶごっこに興じた弟。
*2:他にも、まだ昔の焼山らしい光景が残っていた90年代の撮影動画を編集し、You Tubeに投稿したりもしていました。下記はその一つ。
https://www.youtube.com/watch?v=se6whIk2Dxo&feature=youtu.be
*3:以前は早朝に限っては、よごろと同様、剥き出しの竹を持って、からかう子どもを追い回していました。
*4:許可を得て使用。
*5:他にも、昭和40年代以降に造成された松ヶ丘団地やひばりヶ丘団地などの新興住宅地の自治会からもやぶが出ています。
*6:太鼓のリズムは、神社への往路と復路で異なり、前者は「行き」、後者は「帰り」と呼ばれています。
*7:下記のリンク動画のオープニングとエンディングで流れる太鼓の音がそれ。 https://www.youtube.com/watch?v=se6whIk2Dxo&feature=youtu.be