松の緑に 照りはえて
千畳が峯に そびえ立つ
えぼしが岩より いや高き
理想を胸に いだきつつ
学びの道に いそしまん
今年3月をもって閉校となった落走小学校の校歌です。
その歴史は、明治36年、安芸郡吉浦村吉浦尋常高等小学校落走分教場として開設されたのが始まり。
その後、明治44年に安芸郡吉浦村落走尋常小学校となって以来、今日まで2,026名の卒業生を送り出してきました*1。
そんな同校を巣立った人たちに愛され、支え続けられてきたのが、城神社の祭り。
校歌にもある烏帽子岩山の麓に鎮座する神社です。
(写真は昨秋撮影したもの)
10月第一日曜日の午後、この町の祭りに少しでも触れようと、天応駅から東へ向かって線路沿いの小道を歩き続けました。
歩くこと10分弱。
時刻は14時30分を少し回った頃です。
最初に目に飛び込んできたのは、馬喰(ばくろう)と思われる三体。
休憩中のようで、中に人は入っておらず、そのままの状態で置かれていました。
距離的には天応駅が圧倒的に近いものの、やはり元々は吉浦村とあってか、落走にも「馬喰文化」が根付いていたとしても不思議でありません。
その後、一行の休憩が終わるまで、線路脇で待機。
30分ほど経ったところで、一匹のやぶが東の方面に歩いていきました。
いよいよ動き出しかと思いましたが、まずはその場所に留まったまま、笛や太鼓の囃子が始まりました。
そんな状態が10分ほど続いた後、いよいよ移動を開始。
カメラを構える中、まず最初にすれ違ったのが、「牛」。
なぜ「牛」なのか。
「馬喰」を辞書で引くと、『牛馬の売買や周旋をする人』(大辞林)とあるので、両者の関連は深いのでしょう。
やはり最初に目にした三体は、落走の馬喰であると確信しました。
続いて、向かってきたのが、その馬喰。
よく見ると、右目から涙が流れています。
なぜ泣いているのでしょうか。
そこを取材すべきだったのですが、あいにく聞き損ね、その答えは来年に持ち越しとなりました。
そして最後はやはり、元々の漁師町らしく、「大漁」という旗を掲げた「船」が登場。
事前に得た情報によると、この後、一行は海辺の「三角公園」へと向かい、そこで神幸祭が行われるとのこと。
なおのこと、「船」が似合います。
来年はその様子も写真に収めたいと思いつつ、法被の背中を見送りました。
冒頭でご紹介した落走小学校の「学校経営方針」の中に次のようなくだりがあります。
地域の文化・伝統を大切にし、「ふるさと落走」を愛し、自慢できる児童の育成
近隣の町と比べ規模は小さくとも、その積年の成果が形となったような心温まる祭りでした。
学校自体は、今春、113年の歴史に幕を閉じてしまいましたが、この学び舎を巣立った人たちの落走への思いはこれからもずっと息づいていくことでしょう。
まさに祭りの原点を垣間見る一日になりました。
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