やぶはいつ頃から呉の祭りに出るようになったのか?
やぶ好きなら一度や二度、考えてみたことがあると思います。
80代のご年配の方に伺ってみると、「ワシが子どもの頃にはもうおったわい」と言われるので、きっと「昔からいた」のでしょうが、きちんとした史料がなく、一体どのくらい「昔」からいたのかは知る由もありません。
ならば、やぶ誕生の時代特定はできないまでも、せめて可能な限り「昔」の写真を見てみたい。
そう思うようになり、ここ数年は機会を見ては「昔の祭りの写真をお持ちでないですか?」と尋ねるようにしています。
そんな中、つい先日、Facebookページ「呉のやぶ」の読者の方が2枚の写真を送ってきてくださいました。
まず一枚目がこちら。
昭和25年、今から65年前に撮影された貴船神社の祭りの写真です。
お父さまが二番やぶ(3匹写っているやぶの中央)を務めておられたそうで、写真の裏に名前や日付とともにその旨が記されていました。
続いて二枚目の写真がこちら。
一枚目の写真の翌年(昭和26年)に撮られたもので、裏に日付と場所(拾一丁目己斐前ニテ)が記載されていました。
いずれも古い写真だけあって、一部色褪せてもいますが、今となっては貴重な郷土史料の一つでしょう。
とりわけ一枚目の写真に写っている人たちの表情が何とも印象的です。
祭りをやりきった人たちが見せる、和やかで清々しい雰囲気を感じます。
そして何よりも現在とは全く異なる時代様式の中にやぶだけが今と変わらず当たり前のように存在していることにたまらなく興奮を覚えます。
ただ、これは地元の方に見てもらった方がもっと色んなことが分かるかもしれない。
そう思い、貴船神社の祭り関係者の方にこの2枚の写真を見ていただくことにしました。
すると、この写真の存在を大いに喜んでくださり、数日後に控えていた貴船神社の祭りの前日(よごろの日)、警固屋支所でお話を聞かせていだくことになりました。
そして約束の時間に支所に到着。
天日に干されたやぶの衣装が気分を高揚させます。
このとき既に地元の年配の方にもあちこち聞いてくださっていたようで、写真の所々に判明したと思しき名前が書かれた付箋が貼られていました。
お話を伺ってみたところ、まず場所については、一枚目はまさしく貴船神社の前。
戦後5年という時代の雰囲気に圧倒されそうですが、確かによく見ると鳥居が写っており、境内に繋がる斜面は今とまさしく一緒。
のり面が舗装されていない点を除けば、今の貴船神社そのものです。
また二枚目の写真の場所は、現在で言うところの第二音戸大橋のたもと。
写真の建物はもう残っていないそうです。
当時、醤油屋さんだったとか。
そして何よりも気になるのがやぶの面。
そもそも貴船神社の祭りと言えば、ダンゴ、エンマ、ニグロという伝統的な三種の面があります。
(ダンゴは泣き顔、エンマは笑い顔、ニグロは怒り顔と今回初めて聞きました)
左からダンゴ、エンマ、ニグロ
上の写真は現存する面で、相当古くから使われていると聞きました。
実際、内側を見ると、素人目にも年季が入っているのが分かります。
ただ意外なことに、いずれも昭和25年、26年当時の写真には写っていないとのこと。
また写真に写っている面は、あいにくどれも残っていないとのお話でした。
とは言うものの、よく見ると、一枚目の写真の右端のやぶと二枚目の右側のやぶは、現在のエンマとよく似ています。
昭和25年の右端のやぶ(左)と昭和26年の右側のやぶ(中央)との比較
具体的な面の変遷については不明ですが、連綿と受け継がれている伝統の軌跡をここに垣間見ることができます。
一方、白黒写真に写っているエンマ系以外の面については、ダンゴやニグロとも全く異なる顔立ちです。
そのため、当時、これらの面が存在し、使われていたという事実をどう理解してよいか分からないとのことでした。
謎が解明されるかと思いきや、逆に謎が深まった感もありますが、お話を伺った祭り関係者の方々も大いに興味を持たれたご様子で、この2枚の写真を祭り当日に人目に付くところに掲げ、たくさんの人に見てもらうとおっしゃっていました。
昔の写真を多くの方に懐かしんでいただきながら、もし面の変遷に関わる情報が得られたらまた教えてくださるとのこと。
温かいもてなしを受け、やぶ談義に花を咲かせ、初期の目的以上にたくさんのものをいただいて帰ったよごろの日になりました。
さて、肝心の祭り当日ですが、今年は14時過ぎに警固屋入り。
まだ宮入する前だったので、その途中コースでやぶを待ち受けることにしました。
法被姿の子どもを見かけたので、この近くにいるはずと、待つこと数分。
やぶや俵みこしの一団が市営アパートの中庭に到着しました。
前日にダンゴ、エンマ、ニグロの三面を手にとって見させてもらっていたので、神社へ向かう道中では例年にも増してこれらのやぶに目が向かいます。
その後、神社が近づくにつれ、見物客の姿も目に付くようになりました。
そしていよいよ、14時50分頃に神社に到着。
あの一枚目の白黒写真に写っていた場所です。
境内を目指し、昔と変わらぬ斜面を上るやぶの横顔も絵になります。
着いてまもなく、鳥居前にやぶが居並び、しばし写真撮影。
ずらりと8匹が並ぶと壮観です。
俵もみの開始までもうあと僅か。
舞台はもちろんあの斜面です。
間もなくして大勢の見物客に見守られる中、俵もみが始まりました。
長い斜面なので、迫る俵みこしも押し返すやぶも互いに勢いをつけて衝突します。
65年前のあの日もこんな熱気に包まれていたのかもしれません。
写真を提供してくださった方の亡きお父さまも天上から今年の俵もみを見物されていたことでしょう。
写真に写っていた人たちの和やかで清々しい表情を思い返しながら、俵もみが続く貴船神社を後にしました。
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