呉のやぶ

呉の秋祭りのシンボル的存在、「やぶ」の今と昔をお伝えします。

亀山神社の祭り

別名「人祭」(ひとまつり)と呼ばれるほど、呉で最も多くの人で賑わう亀山神社の祭り。

以前は体育の日が例大祭の日と決まっていましたが、15年前から10月第2日曜日に行われるようになっています。

秋分の日から始まった「呉のやぶ」シーズンもこの日あたりが折り返し地点。

例年、13時頃に四ツ道路交差点をやぶや俵みこしの隊列が出発するので、その10分前を見計らって現地入りしました。

既にやぶもずらりと並んでいて、壮観な眺めです。

 

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予定通り、13時になるとやぶをはじめ奉賛会の一団が交差点を一気に横断。

そのまま神社に向かってゆるやかな坂を上っていきます。

その途中、「人祭」らしさを最もよく感じるのがこちらの光景。

 

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この写真だけで亀山神社の祭りと分かります。

隊列の先頭は一番やぶ。

 

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前姿だけでなく、後姿も絵になります。

 

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写真にある通り、このやぶが背負っているしめ縄には白の御幣(ごへい)が付いています。

これはこのやぶが一番やぶであることを表しています。

亀山神社の場合、御幣は白、赤、青、黄の4色あり、一番やぶが白、二番が赤、三番が青、四番以下はすべて黄となっています。

この一番やぶを先頭にした一団が、道中、俵を揉みながら神社に到着したのが13時30分頃。

最初の石段箇所は俵もみの絶好の舞台です。

青く高い秋空が、鳥居を背に立つやぶの神々しさを引き立てていました。

 

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2箇所ある石段でそれぞれ俵もみを終えると、今度は雰囲気が一転。

やぶだけでなく、獅子舞や稚児も登場し、本殿前で奉納行事が行われます。

これらが終わると、14時頃から同じく本殿前で最後の俵もみが始まります。

ここは見物客の人垣が早くからできていて、カメラを構えるのも容易ではありません。

 

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やはり今年も身動きがとれず、ポジション確保も難しく、これ以上の撮影は困難と断念。

14時15分頃には次の祭りへと向かうべく、神社を後にしました。

毎度のことながら、途中で抜けるのは後ろ髪を引かれる思いです。

 

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帰り道は決まって中通の蜜屋でいが餅を購入。

(蜜屋でいが餅が買えるのは亀山神社の祭りの前日から当日までの3日間、それといわゆる「小祭り」の日の前日から当日までの3日間だけです*1

 

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ちなみにこちらの看板は帰路、見かけたもの。

 

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調べてみたところ、「例大祭」というのは俗称で、正確には(「大祭」として行われる)「例祭」です。

少し専門的な話になりますが、「例祭」は神社が創建された日や御祭神が鎮座したとされる日など、その神社にとって最も大事な日に行われます。

また、例祭は祭りの重要度において最上位の格付けに相当する「大祭」として扱われます。

亀山神社の場合は、例祭日は明治22年までは旧暦の8月15日、それ以降は新暦の10月中旬(日曜・祝日)とされ、この日、民衆は自然の恵みに感謝をし、豊穣の印である米(俵)を「奉納」してきました。

奉納が行われた後は、普段は神社の本殿に鎮座している神様に御神輿に乗っていただき、民衆の生活の場にお出ましいただきます。

これを「渡御」(または「神幸」)と言います。

上の看板に書かれている「浜の宮」とは、渡御に際して神様を仮に奉安する場所のことを指します。

一般的には「御旅所」とも呼ばれています。

いつか機会があれば、この「浜の宮」(元銀座デパート前)で行われる神事も観てみたいと思います。

 

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*1:いずれもよごろの日を含む。