前回のブログ記事で
- 旧市街地から東へ休山トンネル、西へ魚見山トンネルを抜け、阿賀、吉浦に行くと、「やぶ」ではなく「鬼」という言葉が使われていること
- そこに地勢的な要因による文化圏の違いというものを感じずにはいられないこと
- いずれも「呉のやぶ」とはまた違った独自の祭り文化が根付いていること
を話し、前編として阿賀の祭りを紹介しました。
今回は吉浦。
2年前にも広島ホームテレビで特集を組まれるなど、注目度の高い祭りです。
吉浦の祭りは、通称「カニ祭り」と呼ばれ、3日間に亘って行われます。
見所は何と言っても「ちょうさい」と呼ばれる東町のだんじり。
迫力ある宮下りを観ようと、例大祭の日(10/4)の13時過ぎに吉浦八幡神社に足を運びました。
このとき既に神社の石段下は身動きがとれないほど人であふれかえっていました。
密集の中、後ろの人の視界をふさがないよう気をつけつつ、カメラを構える位置をさまよい求めること10分余り。
奇跡的にベストポジションに流れ着いたところで、宮下りが始まりました。
逆光の中、浮かび上がったちょうさいの姿は巨大な黒い塊のよう。
重さは1トンを超えるとか。
宮下りは独特の掛け声のもと、全部で103段あるという石段を下っては上がり、下っては上がりを繰り返しながら、20分程度の時間をかけて行われます。
徐々に石段下に近づくにしたがって、逆光でとらえにくかったちょうさいの全容があらわになりました。
ちょうさいの上で稚児が叩く太鼓のリズムと担ぎ手の掛け声が至近距離で鳴り響くにつれ、見物客の熱も一層帯びていきます。
中でも一際大きい歓声があがるのが、下りかけた石段を再び上がり出す瞬間。
担ぎ手に対する声援にも、また少しでも長くこの宮下りを観ていたいという思いの声にも聞こえます。
そして、ついにちょうさいが103段全てを下りきると、石段下は大きな拍手に包まれました。
ちょうさいを高く掲げる担ぎ手の腕がこれ以上はないほど秋空に映えてしました。
宮下りの余韻にしばし浸っていると、今度は吉浦の祭りのもう一つのシンボルとも言える潭鼓の馬喰(ばくろう)が石段を降りてきました。
人間の背丈をはるかに超える馬喰はいつ見ても異様なまでの存在感があります。
人だかりの密集地を物ともせず、大きな声を発しながら竹を引きずり子どもを追い回す様は吉浦の祭りならではの光景。
その後も各地区の山車が宮下りを行い、石段下は冷めることのない熱気に包まれ続けました。
その後、神社を後にし、恒例によっていが餅を買いに出店が立ち並ぶアーケード街へ向かいました。
その途中、遭遇した一コマがこちら。
恐怖のあまりお母さんにしがみついている子どもの目線の先にいるのは、吉浦の「鬼」。
(「やぶ」ではありません)
ちょうさいや馬喰は吉浦の祭りのシンボルですが、鬼も勝るとも劣らず吉浦の祭りを盛り上げています。
その最たる日が例大祭の翌日(月曜日)に行われる後日祭。
この日は「鬼廻り」とも呼ばれ、吉浦の祭りを語る上で欠かせない一日になっています。
それを一目観ようと、今年も昼休みの時間を利用して、吉浦を訪ねました。
目的地は吉浦小学校。
後日祭の日の吉浦は平日ながら午前中で授業はお終い。
正門前に到着した12時45分頃にはもう子どもたちは下校中でした。
途中、馬喰に遭遇し、追いかけられている子どももチラホラ。
逃げる子どももそのスリルを楽しんでいるように見えました。
そして、12時50分頃になると正門が開門。
門の外で待ち構えていた何匹もの鬼が一気に校庭内になだれ込みました。
追いかける鬼、逃げる子ども、それを遠巻きに笑顔で見守る学校の先生や保護者、地元の方、親に抱かれて泣き叫ぶ幼児。
この光景も吉浦の祭りの風物詩なのでしょう。
まち全体で鬼廻りを楽しんでいる空気を感じながら、学校を後にしました。
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