阿賀と吉浦では、「やぶ」という言い方は一般的ではなく、「鬼」という言葉が使われています。
3年前に「呉のやぶ」Mapを作成したときにそのことを知りました。
阿賀は呉の旧市街地の東側、吉浦は西側に位置し、それぞれ休山トンネル、魚見山トンネルを抜けたところにあります。
トンネルを隔てて呼称が変わるというのは何とも興味深く、地勢的な要因による文化圏の違いというものを感じずにはいられません。
実際、祭りの見所は阿賀においては何と言っても迫力ある大太鼓、そして吉浦は「ちょうさい」と呼ばれるだんじりで、いずれも「呉のやぶ」とはまた違った独自の祭り文化が根付いています。
今年はその両方に行ってきました。
今回は阿賀の祭りを紹介します。
(吉浦の祭りについては回を改めて書く予定です)
阿賀の神田神社の祭りは毎年9月23日に行われています。
今年は午前10時半から正午頃にかけて計18地区の太鼓が順次、宮入すると聞いたので、まさにその時間帯を見計らって足を運びました。
まず驚いたのは太鼓の大きさもさることながらその古さ。
こちらの原青年部が担いでいる太鼓には寛永(1624年-1645年)の年代が記されているとか。
神田神社のHPによると太鼓奉納は約400年に亘る阿賀の伝統行事とのことですが、それも納得です。
11時過ぎには一際大きい東町の大太鼓も神社に到着。
目の前で見ると圧倒されます。
担ぎ棒だけでも相当の重さでしょう。
さらに太鼓に近づいてみると皮の中心部周辺が赤黒く染まっているのが分かります。
噂には聞いていましたが、これは人の血。
地元の方の話では、バチだけでなく、手も一緒に太鼓に打ちつけるようにして叩く人が多いため、出血し、血が皮に付着するそうです。
なぜそのような叩き方をするのかさらに尋ねてみたところ、
- バチの先だけで叩くよりも、バチをできるだけ太鼓に平行に当てた方が重くていい音が出る
- そのため自ずと手を打ちつける形になってしまう(手で叩くという感覚)
とのことでした*1。
そうまでして太鼓の音にこだわるところに、この祭りが「太鼓祭り」と呼ばれるゆえんを垣間見た気がします。
その後も各地区の宮入が続き、時間を追うごとに境内は太鼓の音であふれかえっていきました。
宮入時の太鼓の担ぎ方に独特のスタイルを持った地区もあり、境内からも石段からも目が話せない一時間半になりました。
なお、今年は太鼓の宮入だけを観ましたが、13時頃から始まる宮下りはなお一層迫力があり見応えがあるとのこと。
来年以降の楽しみにとっておきます。
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*1:他にも「手からの出血を恐れてバチだけで太鼓を叩くのは阿賀の男として恥ずかしくてできない」という声もありました。